懐かしい…


懐かしの『電波少年』を録画したVHSが見つかったので、せっせとDVDへダビング。
ビデオテープは古くてもう13年も経つがまだ劣化していないようで、かつて映像編集で使ってたTBCとDNR搭載のS-VHSで再生してみると、まだまだ現役といえる画質できれい。
もう家宝にしようと思ってますから、DVDへダビングしてブルーレイにダビングしてまた次世代メディアに・・・ずっと見続けたいw


思えば、電波少年シリーズは、青春だったなぁ。笑
この番組でキャイ〜ンのロケを見て、映像制作という趣味に走り出すきっかけになりました。
またビデオカメラに詳しくなりかけた時期もあり、番組で使われているカメラが何なのかかなり研究してたw
マイクとか機材もね。
何より、1つのことをやり遂げる大切さ・勇気・食べ物の大切さを知ったかなぁ。
またこの番組って編集が秀逸だったし、その面ではかなり影響を受けた番組のひとつだと思います。
テロップ入れたさに、高校入学祝いでビクターの最安タイトラーを買っちゃったり。
それがまた貧弱な代物で、フォントがギザギザで昨今のPC編集環境からすると劣悪なんだけど(笑)、
なぜかテロップ入れると撮ってきた映像が、格段に面白くなるんですよ!!
テロップって、ド素人の作品を面白くする、カンフル剤だなぁと。
カットつなぎもこの番組の影響は大きい。
声だけを別の場所で使うとか。1カメなんだけど、2カメで撮っているようみせるとか。
また、ガンマイクやらワイヤレスマイクやらワイコンやら、新しい機材が画面に登場する度に画面に食い入る様に見つめてました。
そういや、当時ネットがなかったせいかこれらの“研究成果”って発信することってなかった。
まぁまとめたところで誰も見たい人はいないだろうけどもw
番組が終わってもう6年経つけども、今さらながら機材面からの電波研究でもまとめておこうかなぁ。
以下かなりどうでもいい内容ですw
(あくまで番組から伺い知れる情報から分析しただけで、確証はありませんw)

カメラ

何といっても、ビデオカメラ!
電波では家庭用ビデオカメラを乱暴までにTVのオンエアで使い出した先駆け的な番組だったと記憶するが、
その使用カメラの変遷が、見ていて面白かった。
かなり、頻繁に変わってたと思います。

1996年まで

初めて電波少年を見たのは、恐らく平成6年頃じゃないかと。
その頃はまだインターナショナルだけで、日曜夜22時半を本格的に見始めたのは1996年だった。
キャイ〜ンおつかいビデオやこの頃のインターナショナルを見る限り、この頃のビデオカメラはSONY CCD-TR3というHi8カメラだった。

これはかなり長い間番組では使われていて、よく画面に見切れてた。
特にキャイ〜ンハウス加賀谷がよくこれ持ってた。
確かに、昨今のビデオカメラと比較すると必要な機能が最小限で、シンプル。
使い道のほとんど無かったデジタルズームもついてないっぽいしね。
電波にとって、愛機だったのかもしれない。
記憶では97年の松ちゃんがタイで拉致された時も見切れてたが、恐らくこの時ぐらいまで使い続けてたと思う。
この頃疑問に思ったのが、手ぶれ補正を使っている時と使ってない時があった。
いや、猿岩石企画までは手ぶれ補正ONだったのに、ドロンズ以降が全体的にOFFってた。
やはりONにすると画角や画質が多少変わるし、電波ではよくワイコンにゴミがついてたので(笑)手ぶれ補正するとそれらが不自然に動いてしまうので、OFFったのだろうか?
ともかく、しかしこのTR3は今、この時代に見ても遜色ない画質。
逆光時や低照度時は灰色になっちゃうけど、順光時はかなりHi8でもがんばってたよなぁ。
この後登場するTRVシリーズと画質はほぼ変わらないし、Hi8の基本性能はTR3あたりで完成してたのかもしれない。
そういや爆風スランプが猿岩石に会いにいく企画はDCR-VX1000を使ってて、肩載せのカメラで撮っているのかと思ったくらい画質が良くって、VX1000って凄いカメラだなぁ〜でもズームスピードが遅いぞ〜、とw
ちなみにこの時は手ぶれ補正はOFFってましたw
この頃はカメラにアクセサリーシューがついていない関係か、ほとんどがワイヤレスマイクの外部入力で、ガンマイク使用時はカメラに直付けせず音声さんが竿を使って狙っていた。
また、ワイヤレスマイクは猿岩石企画以降は首から下げる白い布にピンマイクをつけてた。
一方ハウス加賀谷やなすび等は服を脱ぐ必要性(?)からか、送信機自体を首からぶら下げていた。

96〜97年

ドロンズ企画では、Hi8のSONY CCD-TRV91を使っていた。
初の液晶ハンディカムだったかとおもう。
ちなみに、この頃小型のDVカメラが96年にDCR-PC7が、97年初頭にはDCR-TRV7がSONYからようやく発売されてたが、電波はあくまでHi8だったw
97年秋のインターナショナル13からはSONY CCD-TR555という注文生産のカメラが使われ出していた。
これはHi8最後の記念にソニーがこだわりにこだわって作られた名機で、ズームレンズも8倍・手ぶれ補正なし・デジタルズーム無し・6枚羽絞り・名前の刻印付きと、マニア受けする内容だった。
確かに、遠藤久美子企画やオノヨーコ企画の際、太陽光線が六角形だった。
…名前の刻印ってローマ字オンリーだったかと思うので、電波もやはりローマ字でDENPA1とかDENPA2とか入れたのかなw
また、TRV91になってカメラにアクセサリーシューが標準装備となった為か、前田さんやエンクミなどの特別企画時はガンマイクを装着している模様が見受けられることとなる。
この時のガンマイクってどれ使ってたのかは風防に隠れてたのではっきりしたことがわからずじまいだったが、マイク横からケーブルが出てるってことは、ECM-Z157っていう私も使っている家庭用ビデオカメラ用のアクセサリーとして発売されてたガンマイクなのかぁ〜って思ったり。


ここで、私のカメラはそれまで親のお下がりで使ってたTR250PKから、97年の暮れにCCD-TRV92へと乗り換えた。
8時間も持つバッテリーに以後「カメラは8時間持たないとだめ!」っていう固定観念をこのカメラのせいで植え付けられてしまったw

1998年

朋友がスタート時はかなり沢山のカメラが見切れてた。
前年に発売された、Hi8のCCD-TRV92と初小型/横型DVのDCR-TRV7。
小型DV機を初めて長期ロケでも使い出した回だったと思う。
カメラが切り替わると色乗りは大してHi8もDVも1CCDだしあんま変わらないなぁ〜と感じたが、クリアさはやはりDVのTRV7が上だった。
この後朋友ロケでは最初のDが持つカメラはTRV92かTRV7かはっきりわからなかったが、結構クリアでHi8特有の走行系ノイズを見た事なかったし、恐らくTRV7で回してたんじゃないかな!?
次のDはTRV92を持ってて、手ぶれ補正はONだった。
この時は自分のカメラと同じカメラだったので、嬉しかったw
また、なすびやRマニア企画時もTRV92だったかと思う。
なすびゴール時はTRV92にインテリジェントアクセサリのガンマイクを装着してたっけ。
ちなみにTRV91とTRV92、そして後述するTRV95Kとこの一連の売れ筋液晶Hi8カメラの見分け方なんだけど、TRV95Kはナイトショットの黒い縦線が本体にあって、TRV92は液晶裏側にオレンジ色の液晶があり、TRV91は液晶裏に何も無いデザインだったので判別しやすかった。
その後のDより以降の企画は、この年発売されたソニー最後の売れ筋Hi8・CCD-TRV95Kが2001年までずっと使われ続けることになる。
これは恐らく、TRV95K以降ってHi8系はデジタル8に移行していって、純粋Hi8機って全盛期より申し訳なさそうな性能になってしまったから導入しづらくなってしまったのがあるのだろう。
チューヤンの一人旅みたいなのはTR555を使い続けていた。
ただ、98年のラストチャンスや室井演歌の旅ではこの年発売されたDCR-TRV9というDV機を使い始めてた。
が!DV機を使い出したものの、その後の企画ではまたHi8に戻している。
これはやはり室井演歌の旅で、極寒の地や灼熱の砂漠へ行った時に起こったDV特有のドロップアウト大発生が契機かな〜とw
まぁ画がブロックノイズだらけになって音は収録されてなかったけど、そこは電波らしく室井さんが“アフレコ”してた(笑)
こっち見る側としてはそれはそれで面白かったけど、やはりオンエア的にマズいと思ったのでしょうかね。

2000年

Hi8を使い続けてたものの、カメラはTRV95K級の新しいHi8機も出ず、TRV95K時代が続く。
しかし!松本人志企画でTプロデューサーが持ってたのは、1999年に発売された初メガピクセル機DCR-PC100だった。
これは色乗りやクリアさがかなりよかった記憶がある。
メガピクセル機ってすげーなーと思った(まぁ後にメガピクセルの弊害も知るのだけどもw)

2001年

アンコールワット企画でも相変わらずHi8だったが、徐々に変わってきた。
TRV95Kから3CCD機のDCR-TRV900に変わってきたのだ。
さすがにTRV95Kも使いまくってへたってきたのでしょうねw
いきなりHi8で1CCDのチープな映像から、一気に3CCDの潤沢な色乗りになって、随分電波も画質よくなったなぁ〜と思いましたw
あと少女無人島企画だったかな?PC120も使われてました。
またインターポール企画では芸人が持つカメラがコロコロ変わった。
DVのPC101KだったりHi8の当時最新のHi8カメラだったり。
ただそのHi8カメラは最新なんだけどもうHi8自体が末期の頃で、CCDもやる気の無い有効20万画素のカメラで、明らかに全盛期のHi8より画質が劣っててなんかピンホールカメラで撮っているようだったw

2002年

最後の企画あたりもTRV900だったが、おつかい企画や南極企画はズームスピードや色乗り・絞り羽からしてDCR-TRV30だったんじゃないかと思われる。
最初ズームスピードの早さと絞り羽2枚・低照度時の暗さ加減よりTRV950かなぁと思ったのだけど、色乗りがちょっと違うかなぁなんて。
この頃はカメラが見切れる事が少なかったので、推測のまま番組は終了することになる。


いやはや思い出を一気に綴ってしまったら、結構長くなってしまったw
それだけ、電波は視聴者に身近な機材で作られてた、とも言えるかもしれない。
もう地上波では放送されることはないだろうけど・・・電波少年、今でも好きです。